ヒメハルゼミからのお礼  
 

2006-7/30 (Sun)

 
 

不思議な事があった。

私が日本セミの会の会員である事はご存知の方も多いと思う。セミの鳴く季節になると、このセミ聴きの性がうずきだし、ここかしこに出かけてしまうのである。その中でも7月は多摩センターにある親戚の家に天然記念物のヒメハルゼミの鳴き声を堪能しに行くのが毎年の恒例行事となっていた。

しかし、今年はその親戚の奥さんがご病気になってしまったのである。私が出向くといつもご馳走を用意してくれるとても気遣いのある優しい方なので、病気療養中なのにあれこれ気を使わせては忍びないと思い、今年はどうしようかと考えあぐねていたのである。

しかし、やはり都内でも貴重なヒメハルゼミの棲息地の裏にある親戚の家を訪ねずに、季節が終ってしまうのもまた寂しく、この週末にアポ無しでちょっと顔を出そうと考えていたのである。

そうしたらその奥さんが一昨日急逝してしまった。

お伺いしようとしていた矢先に、お会いできずに逝ってしまい非常に残念ではあったが、気を取り直し、昨日の通夜に私の母と臨んだのである。その式場は親戚の家の裏のヒメハルゼミの鳴く蓮正寺と言うお寺であった。

このヒメハルゼミの件は母も知っていて、一度季節に聴きにこの親戚の家を訪ねたいと日頃言っていたが、この突然の訃報により皮肉にも今回聴く機会を得たのである。

式場に着いてほどなくして、遠くの方でヒメハルゼミが鳴きだしたが、既に耳が遠くなった私の母には聴こえないらしい。暫く聴き耳を立てていたが、どうしてもわからないらしく、「やっぱり聴こえない」と残念そうに一言つぶやくと、あきらめて式場に向かおうとした正にその時、いきなり目の前の家の潅木から一匹のヒメハルゼミが大きな声で鳴き始めたのである。

これには私も驚いた。このセミ聴き数十年の私が言うが、ヒメハルゼミは鬱蒼とした森の中にいて集団で合唱する性質を持ち、決して住宅地の潅木の中で鳴くようなセミでは無い。しかし、この時は母の気持ちがわかったかのように、いきなり至近距離で鳴き始めたのである。無論、流石に耳の遠い母もこの時ばかりはよく鳴き声を堪能する事ができたのである。

実は亡くなった奥さんは母の事が大好きで、あの一匹のヒメハルゼミは母にその声を聴かせてあげたいと、奥さんが最後にしてくれたお礼だった気がする。またこの季節に亡くなった事も、私をここに来させるためだったのでは無いかとどうしても感じてしまうわけである。

奥さん、最後まで気を使わせてしまい本当に申し訳ありませんでした。今までの奥さんの気品と優しさは決して忘れません。ありがとうございました。どうか安らかにお眠り下さい。