タクシーと衝突  
 

2005-2/5 (Sat)

 
 

実はタクシーにはねられた。

ちょうど1月17日。そう10年前に阪神大震災があった日である。その日東京からわざわざ当社の社長が来られたので、一献傾けていたところ私の携帯が鳴った。電話の先では、東京から出張して来たまだ幼さの抜けない2年目の若手社員M君が、オフィイスに入れないと困惑していた。そう、彼はオフィイスに入るカードを持っていなかったのである。

そこで、私はじゃちょっとそっち行くからと言って、目の前に出され正に食べようとしていたスッポン鍋をぐっと我慢し、中座して近くのオフィイスまで向かったのである。そして、ほろ酔い気分の私は信号が青になったのを確認し、国道2号線の桜橋西交差点を渡り始めたのである。

国道2号線は広い国道で真中に中央分離帯がある。その中央分離帯を超えて少し歩いていたところで、何となく斜め後ろから何かの気配がしたので振り返ったら、勢いよく突っ込んで来る黒いタクシー。げっ!はねられると思う間もなく私の体はタクシーに乗り上げ、そのまま今度は地べたに叩きつけられたである。

幸い、タクシーの正面に落ちずに横に落ちたのでタクシーに轢かれることは無かったが、それでも左の背中をタクシーのフェンダーミラーにしたたかに打ち付け、地面に落ちた事のでかなり衝撃と痛みが体を走ったのである。

そしてタクシーの横に「イって〜!」と言ってうずくまったが、頭にあったのはオフィイスの前で待つ若手社員M君の事。これで私が行けなくなるのは間違いない。であればどうも性格が弱そうなM君の事、一晩中泣きながらオフィイスの前で待ち続けるかもしれない。それは可哀想だ。従い、誰かを代わりに行かせねばと思い、社長と飲んでいる親父社員H氏に、「あああ、動かないで!」とうろたえる初老のタクシー運転手の言葉を遮り、倒れ臥しながら電話をしたのである。嗚呼、何と美しい行為であろう。これで死んだら2階級特進の殉職だ。

ほどなく電話に出たH氏。既に宴もたけなわ、弾んだ声で場が盛り上ってるのがわかる。

「あー、Hさん?あのね、ちょっと僕行けなくなったから代わりにM君が待ってるのでオフィイスに行ってくれない?」
「え?どうしたんですか」
「今タクシーにはねられたの」
「ひぇぇぇぇー!」

ほどなく、現場に駆けつけるH氏。既に救急車も呼ばれタンカに乗せられようとしている私。大丈夫ですか?と聞かれるが、兎に角背中が痛い。我慢できないと言う感じでも無いが、検査を受けなければ何とも言えない。

ドアが閉まり救急車が走り始めた。すると救急隊員からいろんな事を聞かれる。名前は?住所は?事故の状況は?既往症は?麻薬をやってるか?好きな女性のタイプは?何故禿げたか?等々。人が苦しんでいるのに意識があるうちにと言う事か容赦無い。

そのうち血圧を計り始めた。横で血圧計を見ていたが110と言う数字が目に入った。普段どちらかと言うと低血圧なので、まあこんなもんだろう異常は無いなと思っていたら、救急隊員が「ふだん、こんなに高いのですか?」と聞く。え、110なら低いじゃんと思って聞くと何と110は下で上は177!げ!こりゃ何かまずいかも。救急隊員は事故直後だから興奮しているせいでしょうと言うが、これでわかった事が一つ。実はこの事故は神からの警告なのだ。

実は大阪に赴任して早、半年強。その間、単身赴任で家に帰らなくても良い事もあり、ずーっと仕事と酒を続けて来たのである。仕事は良いがコミュニケーションを保つ為の酒は、もとも肝臓がそんなに強くない事も有り、そろそろ心配になって来たので年末血液検査を受けたのである。そうしたら、ちょっと赤信号になり掛けていた。うーん、こりゃまずいなあ、でも酒の付き合いはなかなか止められないからなあと思っていたのにも関わらず、新年になっても全く酒を断つ事が出来ないおバカな私でいたのである。

その昔、足を7箇所も骨折した事があるがその時も救急車で運ばれ、いざ手術と言うところで血液検査をしたら、値が肝硬変になる直前。あの時もこうでもしないとこいつはわからないと言う神からの警告であると看破したが、今回もきっとそうなのである。

ほどなく救急車は近くの大阪厚生年金病院に着き、精密検査に入ったが幸い骨折は無く、その夜のうちに退院の運びとなった。事故を起した運転手が詫びに病院まで訪れ、家まで送ると言うので、じゃ家じゃなく飲み会の場所まで送ってくれと頼んだら、頼むから大人しく家に帰ってくれと泣きそうな顔で懇願する。確かにまた飲み屋に戻ると酒を飲まねばならないし、そんな救急車で運ばれた男が帰ってきても、皆も落ち着いて飲めないだろうと思い、食べ損ねたスッポン鍋に未練はあったが、無事である旨を社長に報告してここは家に帰る事にした。

次の日も流石に背中は痛かったが、会社に出れないと言う感じでは無いので、一応湿布だけしていつものように自転車で会社に向かった。午前中の外回りを無事終え帰社したが、痛いがまあ何とかなるかなと言う感じ。そして午後にはタクシーの運転手が会社の事故係を連れて「そばぼーろ」を片手にやってきた。

その初老の運転手はきっと生まれてから今まできっと一度も良い事が無かったのだろうなと言う感じの方で、その身長の高い体をちっちゃくして詫びる姿の前では私も怒る気になれず、幸い大した事もなさそうなので、示談とする事にした。何でも示談にせず事故扱いで届けるとタクシーの場合二種免許が停止になるらしい。

その後事故の話になったが、右折して来て私をはねたのであるが、その時対向車がハイビームでそれが目に入り私に気付かなかった事が原因であるそうな。でもタクシーの事故係が「こんな事を言うと怒られますが、本当に見事に受身をされてます」と言う。何でもそのタクシーにはビデオが備え付けられていて、私がはねられる瞬間が写っているそうだが、衝突の瞬間、私は自ら飛んでボンネットに乗っかり衝撃を和らげているそうだ。

実は私は常日頃、乗用車にはねられるのであれば、あのボンネットに乗ってしまうと良いのでは無いかと考えていたである。そうすると少なくともバンパーや車の前部で腰や足を打つ事は無い。概ねはねられた場合、足を骨折するのが大半だそうだが、今回の事故で私は足や腰を全く痛めて無い。これが飛んだ何よりの証拠である。

これは常日頃乗用車にはねられることをイメージトレーニングしていた私の勝利である。おまけに私は中高時代走り高跳びの選手であった。それも背面飛びだったのである。ベリーロールで飛んでいたらきっと大事な場所をしたたかに打ち付け、足は大丈夫であったかもしれないが、何か大事な物を失っていたかもしれない。まさに完璧なまでの受身であったのである。

またこの事故で流石に昔ほど皆が酒に誘わなくなったので、今の体調を考えると、ま、それはそれで良かったかと思っている。

結局、示談金で決着を見たがこれで味をしめ、営業部の部下には月末時売上が足りない時は営業技術として「当り屋」を授けるからやって来いと言いつけている。その場合、売上計上時に使う売上品目と種別は何になるのだろうか?

業務管理部に相談しよう。