悲劇の足(痛風編)  
 

2004-8/8 (Sun)

 
 

私は痛風持ちである。

それがどのように痛いかは、風が吹いても痛いと言うこの病のネーミングから察してもらいたい。出会った人が痛風持ちであるとわかった場合、その痛さの共感を以ってして、即、その人とは他人とは思えないくらいな間柄になる程である。私の場合過去数回発作を起こしており、既に左足親指の付け根には瘤(りゅう)ができて変形している。これは医者に言わせると筋金入りらしい。

最近は鳴りを潜めていたのであるが、大阪赴任早々になった模様である。なった模様であると言ったのは、今回はいつものように左足の親指の付け根では無く、左足のアキレス腱の辺りと右足の右側辺部が痛くなったためである。医者は場所は違うが進んでくるといろんな所に出るとの事で、通風であろうとの診断であった。でも、今回は激しい痛みを伴うわけでは無く、かなり痛いものの何とか靴を履け、東京に帰っていたが、何とか大阪まで辿りつけたのである。

午後に大阪に入ったが、やはり歩くのはしんどく、ここは一つ自転車で動こうと一旦家に帰り、愛用のママチャリを車庫から出したのであった。すると後輪のタイヤの空気が抜けている。いつもこの後輪は数日で空気が抜けるので、今回も数日帰京して使わなかった間に抜けたのであろうと思い、空気を入れて2キロほど離れた、今や大阪の名所、梅田スカイタワーのセミナー会場へと向かったのである。

そして数時間の研修を終え、痛い足を多少引きずりながら止めていた自転車の所へ戻ってみると
な、な、なんと後輪がペシャンコ!!

かーっ!今回は正真正銘のパンクであったかと嘆いても後の祭り、暫し途方に暮れたが、仕方なく痛い足を引きずりながら、十三の自転車屋へと2キロの道を泣く泣く自転車を引き引き戻ったのであった。

そして何とか自転車屋へと辿り着き、パンクの修理を終え自宅に戻り、車庫に入れチェーン式のカギを付けようとしたのである。そして正にチェーンをはめようとしたその瞬間、そのチェーン式のカギの端にはそのチェーンを開けるためのカギが付いていない事に気づいた。要するにこのチェーンは番号式では無く、別途チェーンを開けるためのカギが付いているタイプであったのだ。

しかし、悲しいことに既に鎖を閉めようとしていた私の手は、目ではカギが無い事に気が付いたものの、十分にチェーン閉め動作の初速がついており、慣性の法則でカチャリとばかしチェーンを閉めてしまったのである。

と言う事はだねえ、君ぃ、そのカギが見つからない限り、この自転車はチェーンを切らない限り
乗れなくなったと言う事だよ。

タラーと額から汗が流れた。もしこのままカギが見つからなければ、明日からこのこの痛い足を
引きずりながら通勤せねばならない。思わずゾーッとした。しかしやはりカギはポケットにもカバンにも無い。通常、このチェーンの端にいつも付いているのだからあるわけない。

ガックリしながら、一応部屋まで戻った。さてどうしようかと思案していたが、まずは落とした可能性のある場所を考えた。すると最後にチェーンを取った場所、それは研修をやっていた梅田スカイタワー。やはりここしかないと言う結論に至ったのである。

足は先程の自転車運搬作業で、ますます痛くなっている。さてどうしようかと思案したが、後に事を残すのは嫌いな性格の私、やはり取りにいくべかと決断し、普段着に着替え、既に夜になっていたので懐中電灯を持って、いざ行かんとばかりまた2キロの道のりを梅田スカイタワーを目指し、足を引きずりながら向かったのであーる。

さて、息も絶え絶えながら、ようやく梅田スカイタワーに着いた。そして先ほど自転車を止めた辺りを懐中電灯で照らすと、私の読み通りカギは地面に転がっていた。まずはこれはこれで良しと。

しかし、このまま、また2キロの道のりをすぐ帰る気がしなかったので、梅田スカイタワーの有名な空中庭園を見ておこうと、屋上まで登り、大阪の夜景を堪能したのである。でも周りはアベックだらけで、この足を引きずりながら現れた親父はとっても場違いであった事を申し添えて置く。

でも悲劇はこれだけで終わらなかったのであるよ。以下次号。