続ストーカー  
 

2003-5/31 (Sat)

 
 

どうやらストーカーに狙われるかも。

実はストーカー被害に合っている人物のフォローをした。その人に成り代わってストーカーに電話をして、その行為をたしなめたわけであるが、そしたら今度はその怒りの矛先が私に。う〜む。

何でもその私の電話の後から、ストーカーの方へ怪しげな電話が相次いでいると、ストーカーは暗にこちらを疑っているらしいが、私はそんなにヒマではないよ。

しかしストーカーの気持ちはわからない事も無いなあ。

こないだも書いたが深刻なストーカー事件の8割は別れ話のもつれって奴。かく言う私も昔は付き合ってた彼女に振られた時は滅入ったね。もうこの世の終わりかと。彼女がもう心を閉ざしているとわかっても、ひたすら連絡して話を聞いてもらって許して欲しいと懇願した。しかしそれが敵わないと知ると今度は彼女に対する怒りが込み上げて来て、情けない事になじったりもしたなあ。そんな事をすればますます駄目になるとわかっていても止められなかったなあ。

そして妄想はどんどん膨らみ、彼女が他の男と付き合っているのでは無いかと思って、嫉妬で悶々とした日々を過ごすわけだ。また付き合っていただけに心底彼女を憎めない事もあって、今度は怒りの矛先を周辺に向ける。そうでもしないととてもやるせない。

しかし世間では今日も別れる別れないの類の揉め事は日常茶番時である。その事件はそれこそ、ストーカー的な要素をどれも孕んでいるわけで、それこそみんながストーカーになる可能性は持ってて当たり前だし、どこからがストーカー行為かと言うとこれは難しい。

セクハラも線引きは難しいよね。同じ行為をやっても、この人の場合はセクハラじゃないけど、あの人ならセクハラになるとかさ。

まあ、私もそこそこいろんな経験をしてきたが、人と別れる時去っていく人を責めて自分の正当性を主張した事も若い時はあった。でも、ある時ふと、人を責めるのは簡単だけど、彼女が離れて行った事は自分に引き止めるだけの魅力が無かったと言う事に気付いたわけだ。自分の主張ばかりしてエゴ丸出しにして、彼女の立場を全く理解していない自分をね。

その時から、人を責めるヒマがあったら人が離れていかないように自分を磨こうと思った。少なくとも未練がましい事はすまいと思った。結局自分が惨めだしね。自分の置かれた環境の惨めさや不幸を呪うのでは無く、それをしっかり受け止める事から始めるしかないし、その境遇を変えていくよう努力するしかない。

またそれがプライドって奴じゃないかな。それを無くしてまであがこうとは思わない。

始める前に自分が如何に悲劇の主人公であるって嘆いたところで、誰も自分と同じ境遇になれるわけでもないし、同情を得ても仕方ない。

どんなに不幸な時もじっと我慢して笑える。でもその時の笑いの中に潜む、苦しみとか悲しみってのはわかる人にはわかるもんだ。同じ苦しみや悲しみを味わった人にはね。