阿吽の呼吸  
 

2002-10/30 (Wed)

 
 

皆まで言わずにわかる阿吽(あうん)の呼吸ってのは日本人独特のものであろうか。

日本に帰って来て感じる事だが、はっきり物申さない人が多いような気がする。要するに皆まで言わずに解れって事だが、確かにそれはそれで日本人的美徳なのであろうが、やっぱり憶測や類推の域を出ない状況ってのは辛いね。しっかり話し合った結果、それ以上はもう言うなってのはわかるが、全く話し合いもせずその人の人となりや考え方がわからないままで、「解れ」ってのはちょっとなー。やっぱ、ちゃんと話し合うのが私には性に合ってる。

阿吽の呼吸で思い出した話がある。M社時代の同期にHと言う男がいた。この男、新人研修時代に私の横に座っていたが、人事の講義で「同和問題」が取り上げられた時、私がそのHに「元々僕は同和問題の存在なんて知らなかった。知らなかったら知らないままで終わってるのに、こうして新人研修なんかで取り上げるから返って変な偏見を持ったりするのでは」と言ったら、そのH「いや、問題の存在をちゃんと認識して正しく理解する事が大事だ」とのたまわったのである。その毅然とした態度と澱みない説明に、実にしっかりした奴だなーと至極感心したのであった。その時以来私は彼を尊敬の眼差しで見ていたのである。

そんなHであったのだが、やはり人と言うのは元来意志薄弱で哀れな存在らしい。

ある時、結婚式の写真を取りに奥さんとホテルの結婚式受付に行ったら、そこにHが女を連れて来ていたのである。そこで思わず私は彼に反射的に声を掛けたのであるが、振り返ったHの驚いて明らかにウロを覚えた表情を見て、瞬間的に「しまった!」と思ったのである。それは何故か?

1.彼はこないだ結婚した
2.しかし、半年も経たないうちに即離婚した

この二つの状況を私は既に情報として仕入れていたのであるが、Hは無論、私が何処までの状況を知ってるのかを知らない。私の方はHが今、連れている女性が再び性懲りも無く再婚する相手であると即わかったのであるが、Hの方はきっとこういうロジックが瞬間的に頭の中を駆け巡ったはずである。

『こいつは一体どこまで知ってるんだ?元々結婚したのを知らなければ、しらばっくれて今度結婚するフィアンセですと紹介すれば良いが、結婚したのを知ってれば、きっとこいつのことだ、「あれー、こないだ結婚しなかった?」とかデリカシーの無い言動をしかねない。そうすると離婚したって言わなきゃならないが、そんな事を話すと彼女が可哀想だ。また彼にも「またこいつ即結婚するのか」って思われ、無節操人間の典型のように思われてしまう。先手を打って「離婚して結婚するんだ」っていきなり言うのもとっても変だし、もし彼がすべてを既に知ってるのであれば、きっと何も触れずに挨拶だけで終ってくれるかもしれない。でも、それはそれで私のフィアンセに触れないのも変だし、彼が奥さんを紹介したら、私もフィアンセを紹介しなければならない。でもその時また、余計な説明をしなければならない。あー、どうすればいいんだああああ!!』

私の方も彼の表情を見た瞬間、彼が上記のように考えたのを、しっかりと理解した。それでこの場合、どうすれば最善の応対であるかをこれまた瞬間的に考え、私は彼に向かって「おー!おー!」と言いながらそのまま後ずさりして行った。彼もやはり「おー!おー!」と言いながら手を軽く上げて半ば社交辞令的な笑みを浮かべ、微動だにしなかったのを覚えている。

そして彼から約2メートル離れた時に、「じゃ!」と言って踵を返し、奥さんの手を引っ張って部屋から出て行ったのである。あまりの不思議な応対に奥さんが「どうしたの、何、今のリアクション、どうしてお互い何も喋らなかったの?」と問い掛けた。

そこで私は「おまえはわからないだろうけど、今のリアクションは彼のために最善のリアクションだったのだ。僕と彼の頭脳が瞬間的に状況判断し、導き得た、究極の阿吽の呼吸だったのだ」と言った。

元々私が声を掛けずに見て見ぬ振りをするのが、最善の方法であったであろうが、思わず声を掛けてしまったからには、あれがベストであったはずである。そう、何も言わずに立ち去る。傍から見ればかなりおかしな応対であったはずであるが、この高度な心理戦を一体どれだけの人間がわかったであろうか。

しかしそれ以来彼に対する私の尊敬の念が消えたのは言うまでも無い。全く無節操な奴だ。