母はエスパー  
 

2002-10/8 (Tue)

 
 

8日は母の誕生日だった。74歳であるが至って意気軒昂である。

その母は実は超能力者だ。その昔、受験勉強中に2階の勉強部屋でたまたま一服して漫画とか読んでいると、いつのまにか音も無く2階に上がって来て黙って横に立っている。実に怖い。真剣に勉強をしていると来ない。これは千里眼とテレポーテション能力に違いない。

こんな事もあった。もう8年ほど前になるが右足を7箇所も大骨折し、入院した事があるが、その検査で肝臓が肝硬変の一歩手前である事が判明した。これは過酷な労働のせいであると思われる。骨折前は何と7ヶ月続けて150時間の残業をしていたのだから。言わば骨折したお陰で命を永らえたとも言える。そこで肝臓の治療に入った。

そして入院して一ヶ月経った時、入院生活があまりに退屈なので退院してしまおうと考えた私であった。無論、まだ体がちゃんと良くなっていないのにである。それを聞いた母は血相を変えて、入院している私の所に現れた。

「駄目です!体をちゃんと直してから退院なさい!」

そこで、別に治療といっても足を吊って、安静にして薬を飲むだけなんだから大丈夫だと、母の忠告を取り合わなかった私は、松葉杖で病院の洗面所に行って顔を洗い始めた。そこに母は付いて来て、顔を洗っている私の横で沢村貞子よろしく説教を始めた。母の説教好きは友達の間でも有名である。

その説教をうるさいなあと思いながら聞き流していた私が、体を屈めて手で水をすくって顔を洗っていたその時、電流が体を突き抜けるかのような衝撃的な痛みが背中を襲った。その瞬間から私は顔を洗う前屈みのポーズのまま全く動けなくなった。

そう、ギックリ腰である。初めての経験であったが、あまりの痛さに声も出ない。微動だにしなくなった私に異変を感じた母は一瞬戸惑ったが、それがどうやらギックリ腰であるとわかると、満面の笑みを浮かべ、勝ち誇ったように痛さで脂汗を流す私に勝利の雄叫びを上げた。

「そーら、みなさい!」

これは間違い無く念力である。エスパーには敵わない。当然、母の望み通り、私の入院生活はその後も続いたのである。

「母は強し」である。