カンニング  
 

2002-9/18 (Wed)

 
 

昨日は高校時代の友人と飲んだ。

こいつは何だか私と同じように人に言えない経験が多く、その点私の気持ちを良く理解してくれる。滅多に一緒に飲まないが、飲むとお互い共感できるのでとても発散できる。

高校時代はお互い全くの不良であったが、社会人となり世間の荒波に揉まれ、お互いそこそこ分別ある人物に育ったのではないかと思う。社会的にも彼は一部上場企業の取締役を狙える身分になってきたのであるから、大したものである。

その彼と私は高校三年の時は同じ組に所属していた。このクラスは理科系のクラスであったが、そこにどういうわけか、紛れ込んだ文科系の落ちこぼれの三人が私と彼とやはり三浪したSと言う人物であった。

要するに何処のクラスに入れても勉強やらないから同じであった三馬鹿が、このクラスに員数調整で入ったと思ってもらえばよい。またこのクラス、机と椅子が一つ足らなかったが、この三馬鹿が三人とも同時に授業に出る事はまず無いので、席が足りなくても運用上あまり問題にはならなかった。たまに3人が出くわす事があったが、そういう時は席が無い事を理由に三人とも嬉々としてフケたものである。フケて何をしてるかと言うと近くの六本木なんぞに昼間から繰り出して、ナンパしたりマージャンしてたりしたのである。

そんな連中だったから、成績なんぞもう最低。実力テストは私が350人中277番であったが、おそらく後の二人の方がもう少し悪かったような気がする。

実力テストは自分の実力を知るために、正々堂々と受けていたが、期末や中間テストは落第を防ぐために、当然それなりの工夫をしていた。ちなみに100点満点中44点以下を赤点と呼ぶが、それが4科目あると落第の憂き目に会うのである。従い、当然の事ながら期末は特にその赤点を消す攻防戦に明け暮れていたわけである。

よくしたもので、うちの高校は博愛の精神に富んだ奴が多かった。従い、私の横のその後医学部に入り医者となった秀才M君は、自分が試験の解答を終えると、席を立たずそっと答案を私の視界に入るところまでずらしてくれ、哀れな子羊を救ってくれるのである。ありがたい話である。今とりあえずここでこうして、斯様な文章を書いていられるのもM君のお陰である。

従い、当時私は試験問題を知らなくても解答を知っている男として有名であった。

ま、でもやっぱ勉強しなかったツケはその後ちゃんと回ってきたけどね。