俳句  
 

2002-9/5 (Thu)

 
 

俳句をやろうかと思う。

弊社には数少ない私の奥深い?ノリを判って頂ける方がやはり俳句をやっている。その方の俳句を見てその究極の短さの中に思いを入魂するところに感銘を受けた事もある。そこで作った一句。

「夜嵐の 名残を露に 光る朝」

なんだか素晴らしいとは思わないか?この解釈は「夜を通し吹き荒れた嵐も朝になるとその名残は葉の上に光る露に残るのみであった。」と言う台風一過の清清しい朝を詠ったものである。でもこのような解釈も可能であることに気づいた。

「 昨晩の夫婦喧嘩は事の他凄いものであった。完膚なきまでに叩きのめされた夫は、その悔しさに涙で枕を濡らし、まんじりともしない夜を過ごしたのであった。そしてその精神的苦痛に夫は一夜にして禿げてしまった。流れたおびただしい涙がその禿頭をまんべんなく濡らしたので、いっそう禿げ頭を光らせる結果となった。痛恨事に言葉も出ない朝である。」

とまあ、一応まともな句であるが、やはり私の得意とするのはこのような高尚なものより人を笑わすことができる奴を作るのことが使命あるよ。それでこんなのを作ってみた。似ているからと言って下手に真似るとエライ目に会うと言う例えである。

「カワウソに なりたやイタチ 溺死体」

これをくだんの俳句のわかる大家にお見せしたところ、このような返事を頂いた。まず季語が入っていないので俳句では無く、これは川柳となる。じゃあカワウソとかイタチを季語にはできないかと言うと、獺(カワウソ)だけでは駄目であるが「獺祭忌(だっさいき)」(正岡子規の忌日)は秋の季語となる。また鼬(イタチ)もそれだけでは季語では無いが、鎌鼬(かまいたち)は冬の季語となるそうだ。あれは冬に起こるのだな。尚、溺死体は季語では無いが凍死は季語だそうだ。

そこで同様の教訓(似ているからと言って下手に真似ると、エライ目に会う)を季語を入れ俳句で表現してみた。

「インド像 マンモス真似て 凍死体」