Cheryl  
 

2002-8/8 (Thu)

 
 

Cherylがおととい死んだ。

シェリルは私が駐在時代、ニュージャージーオフィスでもニューヨークオフィイスでも私の部下として働いてくれた事務の黒人女性である。

今年まだ54歳であったが早期退職をし、医療事務の勉強をしてメリーランドで第二の人生を歩もうとしていた矢先の出来事であった。脳溢血だそうだ。そう言えば数年前も血液が固まる病気で一時足が悪くなり、集中治療室へ入っていたこともあった。その辺りから判断して、彼女の体質が今回の原因であった気がする。いずれにせよ残念だ。

彼女は決して器量が良いわけではなかったが、その屈託の無い笑い顔がとても魅力的だったし、ニュージャージーでのバーベキューパーティで作ってくれた彼女の手料理は、とても美味しかったのを覚えている。

そして何よりも、その姉御肌でニュージャージーオフィイスのローカルスタッフを実質上仕切ってくれていて、オフィイスを空けがちな私に適宜ローカルスタッフの間で起こった事件を教えてくれて本当に助かった。彼女のお蔭で私がマネージャーとしての体面を保てたと言っても過言では無い。

しかし、仕事はあまり要領の良い方では無く、従い、評価はいつも辛めであった。でも、面談でその評価について話すのであるが、評価に不満を示す米人スタッフが多い中、彼女はいつも神妙にその評価を聞いて、特に抗弁もせず「I agree」と言って静かに笑うのだった。まるで私は仕事ができるだけで幸せよと言った感じで。

そのニュージャージーオフィイスを閉めるに当たって、誰を解雇し誰をニューヨークオフィイスに連れて行くかが、当時頭の痛い問題であったが、彼女はその人柄と人事担当取締役からの強い推薦もあり、ニューヨークオフィイスへ連れて行く事ができたのである。

ニューヨークに来るとそれまでのどちらかと言うとぬるま湯的なニュージャージーオフィイスのような仕事をさせるわけにも行かず、なれないPCやワード、エクセル等のソフト、加えて請求書管理などもやってもらったが、あの歳でこういった新しい仕事を覚えるのは本当に大変だったに違いない。

でも彼女は愚痴も言わず、これをやらないと解雇されると言う不安もあったろう、一所懸命にやっていたな。でも傍から見ていても混乱しているのがわかったし、相当苦労していて、今思うとそれが早期退職を決意させたのでは無いかと思うと心苦しい。

彼女は、それまで私が語ってきた米人気質とは違う、本当にハートのある女性だったし、私も忙時の最中、彼女と話しているとどこかホッとするオアシスのような存在でもあった。

シェリル。随分早く逝ってしまったけど、今まで本当にありがとう。どうか安らかに眠って下さい。