アメリカのバス  
 

2002-8/5 (Mon)

 
 

アメリカのバスを使いこなすのはなかなか難しい。

マンハッタンの中心部にPort Authorityと言う大バスターミナルがある。ここから、ニューヨーク市街は元より、隣接するニュージャージー州への通勤、観光バス、延いては大陸を横断するような長距離バスなどが発着するのである。そこのシステムは、発着する時間や日にちによって利用されるターミナル番号が変わったりするのでいささかややこしい。

また、それもいきなり予告も無しに突然変更されたりもするのだから、なかなか素人は目的とするバスターミナルへ到達することができなかったりする。赴任直後の私の後輩はこのシステムを私と一緒に現場で体感し、とても一人で来ていたら対応できないと半ば怯えていたのを覚えている。私なども度々待てど暮らせど目的とするバスが来ないので、調べたら小さな字で発着場所変更の通知がしてあったなんて事もあったし、危うく乗るバスを間違えて、辺鄙な場所へ連れてかれる羽目になりそうな事もあった。

それだけではない。バスのルートがいきなり変更されることもあった。これは私が通勤で使っていたNew York Water Wayと言うハドソン河のフェリーと連動しているバスでの話である。このフェリーバスの場合、特にバス亭の目印があるわけでなくマンハッタンの中の何となく経験的に止まるであろうところに待っていて、手をあげるとバスが止まると言うシステムなのである。

しかし、時折フェイントを掛けられる。ある日、いつものところで待っていると一つ先の路地からいきなり現れた。そして、自分のいる前を通らずに行ってしまったのには、驚くの通り過ぎて、呆然とそのバスの後ろ姿を見送るしかなかったのである。信じられないかもしれないが事実である。これはおそらく渋滞とか通行止めとかの不慮の出来事が有り、運転手独自の判断でいつものルートを通らない事にしてしまったからでは無いかと思うが、真相は定かでは無い。ひょっとしたら単なる運転手の気まぐれかもしれない。如何にも有り得る。兎に角、決められたバス亭が無いだけに起こる出来事であると思われる。

ある時、いつも使っているバス亭の標識がうちの前から消えた。ある朝、出かけるといつも利用しているニュージャージートランジットのバス亭が標識ごと消えていたのである。事前通告があった気配は無い。仕方なく、その日は次の停留所まで歩いて行って乗ったが、次の日の朝、その消えたバス亭のところで人が待っている。そこのバス亭は消えたのだから、バスは止まるわけ無いと思っていたら、バスは何事も無かったかのようにそこに停車し、待ち人を乗せて行ってしまった。こうなると何が真実だかいよいよわからない。

その後、他にもバス亭が無くてもバスが止まる場所が、いくつか存在する事に気付いた。要するに何が基準かわからないが、そこに人がいれば乗せてしまうってな感じだ。但し、やはりどこでも良いと言うわけでも無いのが、このキチンとした日本人には理解に苦しむところである。

しかし、この不可解なところがまたアメリカの醍醐味であるとも言える。いちいちその理不尽さに腹を立てず、楽しむぐらいの余裕が無いとやっていけませんぜよ。