鹿妻  
 

2002-8/1 (Thu)

 
 

8月は駐在時代に経験した面白い話を中心に行こうと思う。そう、ところで話は変わるがそろそろアクセスが2000回を迎える。2000をゲットした方はgeda@geda.jpまでご連絡頂きたく。

さて、まず冒頭を飾るのは、駐在時代一緒に働いて頂いた気高きSEの事について語ろう。この男の辞書には「後退」の文字は無い。常に威風堂々前向きであり、社会の窓を全開にしてBVDの黄ばんだブリーフをまろびだしていても、堂々と街中を歩ける、そんな男である。駐在時代妻と子供を日本に置き、単身赴任をしていた彼であるが、ある時寂しさを紛らわすため、遂にニュージャージー付近に出没するメス鹿を手篭めにしてしまったのは有名な話である。

今日はその男からもらった手紙の内容を披露しよう。尚、無論誰だかわからないように仮名を使わせて頂いた。

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背景ゲダ様

ご無沙汰しております。大丘です。

さて、私の方はかって一緒に働いていた人物が日本のソフトベンダーで働いており、その縁あってこちらでも再び彼の元で働くことになり、ホッと一息ついているところです。お騒がせしておりました公私の私の離婚問題ですが、この件もようやく私の心も決まり、近々何等かのご報告ができると思います。

実は先日、その私の心を決めさせるひとつの出来事がありました。私は現在千葉の実家に居候しておりますが、そこでの出来事です。3週間ほど前の明け方、米国ニュージャージー時代私と寝食を共にした鹿の「トメ子」の鳴き声を聞いて驚いて目を醒ましました。しかし慕情の念が引き起こした空耳であろうと再び寝ようとしたところ、再度彼女の声が縁側から聞こえました。慌ててBVDのブリーフ一枚の姿のまま階段を駆け下り、縁側の雨戸を開けるのももどかしく足で蹴破ったのは言うまでもありません。そこには信じられないことに「トメ子」が佇んでいました。

彼女は何処をどのように辿ってここまで来たのでしょうか。体はボロボロ、息も絶え絶えで目に涙をためて私をじっと見つめていたのでした。その姿をみたらもう矢も盾もたまらず抱きしめて、事に移り易い格好だったので彼女が疲れているのも省みず、ついヤッテしまいました。やっぱり鹿は悪くないです。

トメ子とはあのNEW ARK空港で成田への出発を待つ飛行機の窓から彼女の姿を見止めて以来です。その時彼女は、空港フェンスの向こう側に悲しげな姿でじっと私の飛行機を見つめていました。その姿はさながら「岸壁の母」ならず「岸壁の鹿」のようでした。「鹿は来ました鹿は来た〜♫」と言う訳です。あれが今生の別れと思っていただけに、またこうして会えたことに運命的なものを感じずにはいられませんでした。

最初はうちの両親も「大丘の家は草食動物から嫁をとるわけにはいかん!類人猿なら考えても良い。北京原人はどうか?」と拒んでいましたが、私が夜遅く帰って来てもいつも寝ないで(夜行性なので昼寝てるようですが)三指をついて、元々鹿は三つ指ですが、出迎えるトメ子の姿に心を打たれ、最近では「孫はどんなになるのだろう。やはりヒヅメは3本なのだろうか」とまんざらでも無い様子が伺えます。

今は道ならぬ恋であり、世間様に顔向けできない関係ですが、晴れて二人して日向の道を歩けるようになった暁には、「トメ子」との関係をニュージャージー時代からご存知のゲダさんには、是非披露宴には出席して頂き、二人のエピソードを語って頂きたいと思っております。今からその日を心待ちにしております。尚、二人の最近のショットを添付致しましたのでご覧ください。

取り急ぎ近況報告でした。では7月9日の日本でのゴルフ楽しみにしています。

失礼致します。

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やるねー。