アンパンマン  
 

2002-2/27 (Wed)

 
 

私の知り合いにアンパンマンは二人いる。一人は日本でもう一人は米国だ。今日はそのうち日本の方の話をしよう。

こいつは一見したところ、態度がでかくみえる。なぜならまず人前で胸をそらす。一間歩がやたらでかく3メートルはあるのではないか?それも体を揺すらせながらの話であるから、彼が歩いている時近くによると人は恐怖感を抱く。表情も喜怒哀楽が同一なので不遜に見える。そんな偉そうに見える奴だが、実は何でも言う事を聞く、心優しい人間なのであった。

彼は新人時代、幸運な事に私の部下となった。今までも話してきたが、とある過酷な食品物流システムのプロジェクトを対応していた時の話である。当初は私の部下では無く、あの大川課長は他の人間の下に付けようとしていたらしい。私が「誰かつけてくれないと死んじゃいますよ」と懇願しても大川課長はいつものように椅子に深く座り足を組んで、頑として首を縦に振らなかったのである。オニである。

そこで私は、正式配属前に1ヶ月間9時5時で新人研修があるのを利用し、
「じゃあ、研修期間だけ5時以降使って良いですか?」
と条件を出したところ、何とか了承を得ることができた。それが彼のウンのツキであった。無論、私は喜んで使わせて頂いたのである。

新人はまだ社会人のペースに慣れていないため、5時までが物凄く長く感じられるはずである。そんな時期に定時以降働かせる無謀さは計り知れない物があったと思われるが、私も自分の体は大事だ。私はそのアンパンマンを毎日ほぼ深夜12時までコキ使ったのである。どれだけコキ使ったかと言うと、いつもであれば、必ず新人の残業時間記録は生き馬の目を抜くと言われるM社の重電機貿易部門が打ち立てるのであるが、その時ばかりは彼の残業時間の方が多くなってしまったのである。

結果、その1ヶ月のコキ使い方により、彼は新人にして早くもそのプロジェクトで不動の地位を確保してしまった。この既成事実の前には、かの大川課長もヒゲをピクピクさせてはいても、彼をその後も私の下で働かせないわけにはいかなくなってしまったのである。私は勝った。

その後もアンパンマンをコキ使いつづけた私である。初めは終電で帰していたのが、その数ヶ月後には、ついには客先の薄暗い倉庫で寝泊りさせる状況とまでなってしまったのである。お蔭で彼はそこの倉庫の管理人のじいさんとマブ達になってしまい、じいさんは夜中に見回りに来ると、必ず彼に向かって
「今日もこれか?」
と言って、手を耳の下にあてオネンネのポーズを取るのが日課となってしまったのである。

そしてある朝、私が倉庫に行くとアンパンマンがその管理人さんの炊事場で頭を洗っている。そして私を見るなり、タオルで頭を拭きながらこう言ってきた。

「僕、商社ってところはアタッシュケース一つで世界を駆け巡るとばかり思ってました。でも、何故僕は倉庫でこのように頭を洗ってなくてはいけないのですか?」

アンパンマン君。君の気持ちはよ〜くわかる。でもね、新人時代に地獄を見てしまうと後が楽だよ。そうだったろ?だからこれは愛のムチだ。それと私を恨んでは駄目だ。恨むのであれば、やはり総指揮官であった大川課長の方だからね。その点間違わないようにね。