アキレス腱  
 

2002-2/7 (Thu)

 
 

暮れも押し詰まった日に電話が鳴った。

出ると電話は釜口の上司の大熊部長からであった。部長の声は電話ではいつもトーンが低く陰にこもっているが、今日は格段にこもっており、まるで地獄の底から電話を掛けてるかのようであった。
「釜口。明日は会社休むので宜しく」
実は大熊部長はこの日まで休暇を取っており、明日は久々に出勤する日であった。そこで釜口は
「どうされたのですか?」
と聞くと
「いや、ちょっと足がね。痛いんだ」
只でさえ好奇心の強い釜口は、どこか隠したがるような大熊部長の態度に、益々好奇心を募らせ矢継ぎ早に質問した。その釜口の攻勢に観念した大熊部長はついに
「いや、旅先で転んでね」
と旅行の件を話し始めた。
「で、どんな具合なのですか」
と釜口は聞いた。すると大熊部長は
「なんかね。ふくらはぎが丸まって上にきちゃってるんだよ」
釜口はそれを聞いて驚いた。その状況はまぎれもなくアキレス腱断裂!

「大熊さん。それ間違いなくアキレス腱切れてますよ。いつですか?え、二日前?まだ医者に行ってないのですか?ダメダメダメダメ、すぐ行きなさい。そんなに放っておいたら筋肉が固まって取り返しの付かない事になりますよ。即、医者に行って下さい!」
と釜口は嗜めたが、大熊部長は彼の18番であるやせ我慢の技を繰り出し、聞こうとしない。いくら説得しようとしてもこうなると駄々をこねる子供のように頑として聞かなくなるのである。仕方なく釜口はあすの朝一で医者に行って頂くよう申し添えて,電話を切った。

次の日、早速大熊婦人から釜口のところに電話があった。すると、緊急手術になったとのこと。ほーら見なさいと釜口は思ったが、ケガから3日も経ってるのに完治するのかかなり不安を感じたのである。

釜口は大熊婦人にその時の様子聞いた。そうしたら満を持したように、雄弁家の大熊夫人が説明をし始めた。
「主人は私と子供の後ろを歩いていたんですけど、知らないうちに階段で転んだらしいんですよ。私たちは先にレストランに着きまして待っていたのですけど、一向に来る気配がないんで、全くも〜グズなんだからと思っていましたのよ。そしたら向こうからビッコを引いてやってきたんで、どうしたのって聞いても、本人は大したこと無いって言うんで、そのまま食事をして帰ったんですよ。だって本人しか痛さはわからないじゃないですか。おほほほほほー」

と何だか、結構いつものように厳しいお答え。それにしても平然と食事をして、その日を過ごし翌日メキシコから飛行機に乗って帰ってくるなんざ、常人の技では無い。おそらくそこで取り乱すのは大熊部長のやせ我慢の美学に反したか、単に異郷で手術騒ぎになるのが怖かったかのどちらかであろう。

そして次の日。もう手術は終えているはずなのに一向に連絡が無い。大熊部長の上司に当たる梯子はずしの名人、佐藤CFOも心配して釜口に状況を伺いに来る。しかしながら釜口がご自宅に電話しても誰も出ない。

ひょっとしたら、何か良くない事でも起こったのかと思っていたところ、大熊部長のマブ達、金属の佐々木課長から電話が有り、大熊部長から随分前に電話が有り、無事だって言ってたよとの事。

それを受けた釜口は、おいおいおいおい、まずはこっちに連絡してきてくださいよー、部長職と言うのは公人である事を完璧に忘れてらっしゃっると思ったが、何はともあれ、無事がわかって安心したのである。

しかしながら,その後もずーっと連絡が無い。CFOからも再三問合せがあるも状況がわからず釜口はジリジリしていた。そうしていたところ、大熊部長の自宅に近いデータセンターの津久見から電話が有った。
「今、こちらに松葉杖ついて、借りていたビデオを返しにいらっしゃいましたよ」
と津久見は釜口に報告した。

釜口は一瞬めまいがしたが、気を取り直し電話を大熊部長に変わってもらった。そして、お見舞いの言葉に添えて公人であるとの心構えと、即CFOにお電話するようにと申し伝えたのである。

その後CFOから大熊部長より電話があったとの連絡が有り
「もうみんな年だからな。階段は特に気をつけないと」
と釜口に告げた。

しかし、そのCFO、直後の正月に階段から落ちて腕を骨折。釜口は話が出来すぎていると感じたが事実である。

その後、それぞれギブスをはめて何とか職場復帰した大熊部長とCFOである。オフィイスで二人が歓談している姿を見たスタッフの一人が呟いた。
「まるで野戦病院みたい」