O婦人VS天部  
 

2002-2/5 (Tue)

 
 

ああああ、ごめなさーい。ここまで来たら今日もOシリーズ。

O婦人を語るときに忘れてはならないのはMr. H。。。と書くと日立の林。。。あ、いけねえH社のHと間違えられそうなので、ここは仮名を使うことにする。そうだな、天部さんとしておこうか。これなら誰のことだかわかるまい。

その天部、やはり新人時代このO婦人(当時のT嬢)のOA研修を受けたのであった。しかしこの天部、常に真剣なのだが、どことなく軟体動物のような動きをする。体に骨が入ってないと言うか、あまりシャンとしてるようには見えない。またどこか喋り方も風貌も藤山寛美のようで、格調高いO婦人とはウマが合わなかった模様。

ある時、その態度が勘に触ったかOA研修の最中にO婦人から

「真面目にやりなさい!」

と一喝され、頬をピシャリとぶたれたのであった。O婦人厳しかったのである。この厳しさにおそらくはO氏も参ったのではないかと推察される。(O氏が強い女を好きなのはNOVEL PAGEの「ツタンカーメンの逆襲」で説明済み)

天部を良く知ってる人間は、彼はO夫人をなめてたのでは無く、間違いなく真剣だったのだと思うが、山の手育ちのO夫人には下町の軟体動物の動きは読めなかったようである。

新人時代O婦人の厳しい洗礼を受けた天部はこれで心にトラウマが残ったわけである。

しかし運命の神様は次なる試練を天部に与えたもうた。何とO夫妻が米国に駐在になった後、彼も米国駐在になり、O氏の元で働く事になったのである。

あの事件以来、心にトラウマが残った天部はどこかやはりO夫妻とはしっくり行かなかったようだが、そこはもう大人の関係。O夫妻宅へのお招きを断るわけは無かった。

O婦人も無論仕事には厳しいが、プライベートは別。その日は腕によりを掛けてご馳走を用意していたのである。ちなみに私もその後O氏宅に招かれご馳走になったが、その時食べたわさび醤油のステーキは、生涯私が食べたステーキの中で一番美味しかったのを申し添えておく。

そんな雰囲気を察した天部もまた、今回のお招きはある意味では過去の事件を不問にする「手打ち式」であることを十分に承知しており、この日のためにゴージャスなプレゼントを欠かすわけは無かった。

そして当日。若干緊張しながらO氏宅に着いた天部は、プレゼントを取り出そうと、車のトランクを開け、身をかがめたところそれは起こった。

「う!」

と彼は一瞬うめくと、プレゼントを取り出そうと前かがみになったまま固まってしまったのである。そう彼はギックリ腰になってしまったのである。

その後何とか家には上がったそうだが、とてもご挨拶や食事を取れる状態では無く、そのままソファーに身を横たえたままじっと時を過ごしたそうである。O婦人の心中や如何に?

いずれにせよ、手打ち式は見事に粉砕した。

蛇足だが、この天部子供が二人いるが、仕事が過酷だった(私のせいかな?)ため「DAPPUN」は元より(MUSIC PAGE「黄金のセレナーデ」参照)なかなか家族サービスができなかったそうである。

そしたら子供が書いた「家族の絵」に自分がいなかったのだと。。。悲劇の主人公とは彼のことかもしれない。最近も過酷な仕事が続いてるらしいけど頑張ってね。