国民性  
 

2002-1/5 (Sat)

 
 

昨日の話は地球人と宇宙人の違いだったが、今日は日本人と外国人の違いだ。

日本は島国で単一国家の同一言語であるからして自ずと「皆まで言わずに解れ」的なすべて言わないのが美徳であるとの国民性が顕著となる。腹芸とか、あうんの呼吸。この辺りの言葉もこの国民性に由来する文化であるか。

一方、外国人と言うよりここは、世界を席巻して西洋文化の基本となっているユダヤ人のことになるが、国を追われたため他国文化の中で自己を主張することでしか、その存在を知らしめるしかなかった彼等は、日本人とは対照的な民族であろう。

例えば、日本ではある研究を行うために研究予算を取得する時「まだ誰もやっていない研究です」と言うと予算が下りにくく、「欧米で既にやられてる研究です」と言うと予算が下り易いと聞く。一方欧米では逆に「まだ誰もやってません」と言うと予算は下り易いと言う。

学校教育でも全体主義を重んじる日本では出る杭は打たれてしまう。然るに黙ってシコシコ勉学に励む人間の方が好まれる。一方、欧米の教育は自己主張することがまず基本で、Debate(論争)でき、自己主張できることが重要である。従い、良く勉強ができても大人しい人間はあまり評価されない。

でもこのやり方は一方で「ウソをついても自己主張すべし」的な風潮を生み、潔さを尊ぶ日本人から見れば、あからさまなウソをついてまでも自己弁護する様はちょっと理解できない。この辺りが日本から米国に来る管理者が欧米人を使う時に面食らう部分である。(参考までにホームページのNOVELにある「米人管理術」をご覧下さい)

日本人は「形」とか「体裁」を気にする。日本の文化に「道」が多いのもその現われか。柔道、剣道,相撲道、茶道等々。驚いたことに野球道なんて言葉も聞いたことがあるぞ。要するに勝ち負けは二の次で、形を重んじ礼を尽くす事が大事であると説く。

蒙古来襲の時、日本の侍が「やあやあ、我こそは生まれは肥後の葉隠れ、名は北条室諸と申す。将軍家総師範の命を受け、ここに合い見える。剣は幼少のみぎり、京の棟方稀麿無手勝流を免許皆伝致し、その後。。。」何て冗長な名乗りを上げてるうちに、蒙古に槍でブスって刺されてしまう。

「ひ、ひ、卑怯者!」と言うが後の祭り。外人には通用しないわなあ。この辺りも道を説く日本文化の典型的な事例か。

でも、やはりそれぞれの国民性はそれはそれで尊重すべしで、良い悪いでは無い。大事なのは相手の国民性を理解することであるか。どちらかと言うと独創的なユダヤ系、それをブラッシュアップする欧米、猿真似して改良する日本人と言う図式はあるようだ。人にそれぞれ向き不向きがあるように、民族にもそれはきっとある。