大晦日  
 

2001-12/31 (Mon)

 
 

ついに大晦日だ。

今年は激動だったなあ。帰国したし、会社変わったし、その他諸々いやはやローラーコースターに乗ってるようであったぞ。でもしかし、世の中にテロや戦争や飢饉などで苦しんでいる人達がいる中で、こうして取りあえず無事に年を越せるのだから感謝せねば。

このホームページの題が「解脱ロード」と言うだけあって、日々これ解脱の道を追求していると言ったら大袈裟かもかもしれないが、常々精神の安定を求めてさ迷っていると言うのは強ちウソでもない。何でもニューヨークで良く当たる占い師の話によれば、私の場合、前世はローマ辺りの司教であったらしいが、その時もやはり日々「悟り」の境地を求めていたらしい。今生でもそれを続けているってところか。この人生の間で果たしてどこまで行けるやら。

今年の収穫としてはやはり先人の教えの通り、執着心を持つと苦しむってのがわかったことか。人間は理想と思ってた事に到達したと思った途端、実際はそれは理想で無くてガックリきたり、例えそれが理想であったとしても、次の瞬間からそれを失うことを恐れ始める。

てことはさ、いつまでも経っても満足しないのならば、やっぱ今が幸せだと思えれば幸せになれると言う事か。幸せは外から与えられるものでは無く、既に自分の中にある事を気付く事であるとは良く言われるしね。

それと人からいろんな事を教えられた年でもあったなあ。その人々は決して私に何かを教えようとしていたのでは無く、ただそこにいただけかもしれないが、その人の存在自体が私に何かを気付かせてくれたと言う事か。

そういった意味では今までも周りの人は私にいろんな事を教えてくれていたのだが、視野が狭くエゴの塊で、それに気付かなかっただけなんだけどね。だから自分の子供であっても良き人生の師であると気付いた次第。みんな偉いよなあ。

そうそう、私も時折偉そうなことを言って、ちょっとは人に教えを説いているらしいが、そうであればそれは私が偉いのでは無く、私の「教え」が偉いと言う事か。その「教え」が人々に響いてそれがまたいろんな人に伝えられていく。人に響いて、社会に響いて、世界に響いて、宇宙に響く。こうであれば例え私の魂が失われても、その心は連綿と繋がって行くわけ。個人の名が大事なのでは無い。大事なのは世の中を良くするその教えか。

良く自分ひとりに何ができるかって言って何もしない人がいるが、これは勘違いだと思うなあ。とても凄いことを成し遂げるとしても、最初の一歩は大したこと無い。だから、たった一人に出来るできることなんか確かにたかが知れてるけど、だからと言って何もしないってのはちょっとね。だってそれじゃあ何も変わらないじゃん。

例えばだよ、恵まれない人を助けようとして、全員を助けようとしてもそれは無理。だけど、その恵まれない人一人でも助ければ、その助けられた人が、その心を受けてその輪が広がって行く。そういうもんじゃないでしょうか?

自分一人の力は大したものじゃなくて、何事も他の人の力があって成し遂げられることであるけど、だけど自分しかできない事って絶対あるわけで、それをキチンとやることが大事なことであると思う。過去を振り返らず、未来も愁うことなく、目の前にある自分のやるべきことをただひたすら行う。さすれば道は開けるのではないかと思う今日この頃であります。

さて、もうすぐ2002年。世の中を良くする為に何かを始めるのに遅すぎるって事はないぜ。そしてそれで自分が生きてたって証を誰かの心に残す事もきっと出来るぜ。あなたならね。

では、良いお年を。