臨死体験  
 

2001-12/4 (Tue)

 
 

さて、昨日は神が出てきたので、今日はその点を別の角度から。

臨死体験と言う言葉は既に市民権を得ているように思う。もう10年以上前になるが、立花隆が文芸春秋にこの連載をしていて当時むさぼるように読んだものだ。最近でもTBSが「人間」についての特集をしており、その番組の中でもこの事が取り上げられている。

立花隆の論文でも、TBSの番組の中でも紹介されていたが、人間の側頭部にはシルビウス裂と言う脳の溝があり、ここを刺激すると自分の魂?が肉体から飛び出し、検査をしている医者を天井の方から見ていたとの事例が報告されている。これはその昔、ペンフィールドと言う学者が脳外科手術をする時に、電極を使って脳を直に刺激する実験を試みていて発見された現象である。

よく臨死体験者は同様の体験をするが、もしこの実験と同じ現象であれば、この脳の溝のところに肉体から自分の意識を切り離すスイッチがあることになる。TBSの番組でも側頭葉を電磁波で刺激することにより、臨死体験と同じ経験をさせることができる機械が紹介されていた。

また、臨死体験者は自分の宗教体験に基づいた光景をよく見るのも面白い。即ちキリスト教信者ならキリストやマリアを見るし、仏教徒なら仏陀を見たりするのである。この事から臨死体験はやはり後天的に培った経験から発生する脳の現象であるとTBSの番組は結論付けていた。

私の周りにも二人臨死体験者がいる。一人は妻の母親で小さい頃肺炎にかかって危篤に陥ったその時、綺麗なお花畑とそこに流れる川を見たと言う。向こう岸には死んだ親族もいたと言う。日本人が見る典型的な臨死体験のパターンである。そうしたらそこに馬車が来たので乗ろうとしてステップに足を掛けた時、あ、忘れ物をしたと思って振り向いたら意識が戻ったとの事である。非常に不思議な体験であったが、誰にも信用されないと思って今まで黙っていたそうであるが、私がたまたま臨死体験の話をしたので、実は私もと話す気になったのだそうだ。

もう一人は著名な彗星発見家Kさんである。この方とはたまたま先日とある会合でご一緒させて頂いたが、何と立花隆の臨死体験の本の中で実例として報告されている人であり、私もその体験があまりにも不思議な内容なので今でも良く覚えている。

簡単に説明すると、ポックリ病で完全に心停止に至り、医者から死を宣告されたが、その時本人の意識はよくあるように天井辺りを漂っていたそうである。その時彼は冷静にもこの不思議な状況をもっと良く体験しようと思い、様々な試みをした結果、念じれば何処にでも何時にでもいける事を発見したのである。要するに時空を超えられるのだ。

その中でも非常に数奇な体験は、その昔Kさんがお姉さんと山道を歩いていて落石があった時の話である。その落石の時、誰かが「危ない!」と叫んでくれたので、その落石から運良く身をかわす事ができたわけであるが、そうしたらその時「危ない!」と叫んだのはなんと臨死体験中のKさん正にその人であったと言う話。と言うのはその臨死体験時、時空を越えて様々な所に行き交ううちに辿り着いたのが、その山道で落石が発生する少し前のタイミング。そして、その時の幼い自分が落石の危険に晒されたので思わず「危ない!」と叫んだと言うわけである。という事は未来の出来事が過去の出来事に影響を与えているって言う事になる。これ実に興味深い。

Kさんは他にもこの時、様々な事を見てきたらしく、その見てきたことを実証することに余念が無い方である。そして臨死体験の時の話をいろいろ聞かせてもらったが、トンネル現象や神を見たり光を見たりする現象はやはり脳のなせる技であるとの見解であった。がしかし彼曰くその後の現象は、そう言った脳の現象では無くどうやら、人間は一つのスーパーコンピュータのようなものにつながれた存在で、最後は皆そのスーパーコンピュータに戻っていくと言うようなお話をされてた。やはり生命は皆兄弟か?

話は昨日の話に戻るが、遺伝子工学の観点からもどうやら生命は皆兄弟であるらしい。植物から原生動物、人間に至るまでその基本と成る遺伝子構造は同一で有り、人間だけが特別な存在であると言う西洋のキリスト教的な発想は否定せざるを得ない結論が出ているとのことである。

やっぱ、どのような角度から検証してもみんなつながってるようだ。仲良くしなきゃね。