天啓  
 

2001-11/8 (Thu)

 
 

今日、会議中いきなり天啓が降りた。

最近、新しい環境になかなかなじめずくすぶっていたのだが、いつまでもこれではいかんと、今日の会議は馬鹿にされても、恥かいても、的はずれな意見を言ってもいいから、前向きに集中してやろうと臨んだのである。

いつもは人が意見を言っても無視されたり、遮られたりしていたが、今日はそれにもめげずに、真剣に発言していたら徐々に会議に出席しているメンバーが、私の反応を確かめるようになり、私の意見に相槌を打つようになってきて、最後は私に同意を求めるように目線を合わせるまでになってきたのである。いやー、この感じ久々だ。

と思った瞬間、いきなり著名な歴史上の所謂悟りを開いた人物がよく言う

「過去も未来も無い、あるのはただこの刹那だけ。瞬きする度に人生は新しく変わるのだ」

の言葉の意味がわかったと言ったら言い過ぎであろうか?

一時一時を大事にし、自分のできることをやる。それが自分に向いてるかとかやりたいこととかは関係ない。これ何を意味するかというと、どうもようするに「何事にも集中し、逃げるな」ってことのようだ。

何故こう思ったかと言うと、得てして自信が無いとか興味が無いとか言う場合、会議中、他に気になることを恣意的に見つけて逃げる自分がいた。例えば、隣の奴がPCのコンセントを抜いたことに目をやったりして。これは別に見たくて見たのではなく、何でもいいから会議とは別のことを探しているだけなのだ。自信が無いから逃げる口実を自分で見つけてるだけなのだ。

で、それだけでは無い。続けざまに閃いたのが「自信が無い」ってことの理由もわかってしまった気がする。要するに何故自信が無いかと言うと己を知らないから。逆に言うと己を知れば自信がつく。「知らない」ってことを「知らない」と言える。「わからない」ってことを「わからない」と言える。「できない」ってことを「できない」って言える勇気。この勇気は己を知ってるから言えるのだなと。

だからたとえスーパーマンになっても己を知らなければ自信はつかないのだ。

で、これだけでも無い。己を知るためには人を知らねばならない。人から認められて初めて自分が存在できる。人との距離で己を知る。人がいなければ自分もいない。人を知ることによって己を知る。

こんなことが会議中パパパパパーっと天から降りてきた、不思議な午後であった。